【71-まち歩記:番外編は大阪・谷町】師走です。と、いうこともあり、更新が滞っております。いかんですね〜。お越しくださった皆さま、どうかご容赦ください。さて、今回は、大津から再び大阪のまちへ。【65・68・69まち歩記】の続き、大阪空堀シリーズです。日が沈みかけの空堀のまち。まち全体が薄暗くなってきた頃、空堀のまちの北東の隅とでもいったらよいのでしょうか、地下鉄谷町6丁目あたりの路地を歩いていると、階段が目にはいってきます。【65まち歩記】で、次のような紹介をしました。「上町台地の中央部は、西側は急坂となって松屋町筋に、東はゆるやかな傾斜でJR環状線に達しています。西の急坂は、『大阪層群(約260万年前から38万年前の地層)が隆起によって陸化した後、大阪湾の海に削られて海食崖と海食台が形成された。』(「新修大阪市史」)といわれており」、「古来の坂道がのこっており、その坂の上に四天王寺が建立されています。」(歴史散歩)この紹介にある「西の急坂」、今回のエントリーの写真からもよくわかります。 ところで、3人ならんだ皆さんをご覧ください。一番右の男性、ずっとこちらの方向(僕がたっている方向)をまっすぐにみつめ、缶コーヒーを飲みながらタバコを吸っています。一番左の男性、右側のビルから出てきて携帯電話をかけはじめました。その2人の男性の間を、こんどは、一人の女性が階段をおりてきたのですが、どういうわけだか急に階段の途中で立ち止まりました。3人が、ほぼ横一列にならんでいます。この写真は偶然に撮影したものですが、なんだかどこかで見たような、デジャビュな感じが・・・。 現在、東京都写真美術館では、「東京都写真美術館開館10周年記念特別企画展『植田正治:写真の作法〜僕たちはいつも植田正治が必要なんだ!〜』」が開催されています。右の企画展の青い文字をクリックしてください。鳥取砂丘に家族らしき人たちがならんでいる写真がご覧いただけます。砂丘に、家族がオブジェのようにちょっとポーズをとって並んでいます。写真家・植田正治さんの「パパとママとコドモたち」(1949年)という作品です。植田さんの作品群は、「植田調(UEDA−CHO)」と呼ばれ、国際的にも高く評価されています。今回の写真、カメラのファインダーを覗いているときに感じたデジャビュ(既視感)は、ずっと以前に、植田さんの作品にから得た強烈なイメージが、記憶のなかから浮かび上がってきたことによるものなのでした。 こんなピンボケの写真を植田さんの作品と同列に並べてしまうのは、自分としても大問題だと思うのですが・・・。まあ、「谷町調(TANIMATI−CHO)な階段」ということで、どうかお許しを(^^;;。 |
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こんにちは、Kai−waiのほうからやってきましたneonです。この写真、いいですねえ。連続階段正面から、というのも、人物並行も、そしてほんのり紅がかった色彩も・・・。「谷町」という名称も好きですね〜。 |
neon 2005/12/27 10:52 |
neonさん、おはようございます。たまたま、偶然、こんな写真になってしまいました。ピンボケだし、ひどい写真なんです。が、階段でお3人がほぼ一列になった瞬間に、感じるものがあり撮影しました。相撲の力士の面倒をみていた相撲ファンの医者が、この谷町に住んでいました。相撲界で「谷町」と呼ばれる支援者の呼び方は、この大阪の町の名前が語源になったのだと聞いています。 |
wakkyken 2005/12/28 08:35 |
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